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全ての子ども達に、福祉が行き渡ることを、私は願っています。
しかし、子ども達の置かれた状況や抱える問題は多種多様で、『子ども達』などと一括りにできるものでは無いようです。


現在の児童養護施設に暮らしているのは『孤児・棄児』だけではありません。
その現実を引き受けざる得なかった子ども達の声を、ご紹介致します。

Firedragon戦記 筆者:Lei(ペンネーム)・大舎制出身

施設の子ども達の心と broken Windows理論

http://blogs.yahoo.co.jp/leiwingjp/5341637.html より引用・抜粋


家庭から来る虞犯少年たち、触法少年たちを力で抑える事でその場は収まりますが、怒りは留まるところをしらず、ただ親の居ない幼い子ども達へと向かいます。何の罪も犯していない幼い子ども達は、本来なら家庭で甘えていい年齢です、それなのに、怒りと壊れた心を持て余している少年・少女たちによって、職員の目の届かない場所で虐待を受けてしまいます。


わたしの出た施設の職員は、こう言いました。
「お兄さんもスーパー職員じゃないんだよ、全て見渡せるわけがない」と。

職員による言葉のすり替え

http://blogs.yahoo.co.jp/leiwingjp/4176196.html より引用・抜粋


 施設では上の子は小さい子を守る義務も責任もないし、小さな子はおもちゃ(ちなみに、わたしが言うおもちゃとは、性的に搾取される事、暴力、精神的虐待や、反応を楽しむなど色々とある)として扱われる、その人数も半端じゃない。普段のイライラのはけ口としておもちゃにされた子は大きくなってから、小さな子をおもちゃにしても虐待という意識がなく、イジメ程度の認識しかなければ、虐待の連鎖は止まらない。


 ただ親が居ない子ども達、幼い子ども達は、彼ら【虞犯少年】と共に強制的に住まわされているだけなのに少年達の怒りの捌け口にされてしまう。それをもって、いじめ という表現を使う事は現実をオブラートに包む言い訳と誤魔化しではないだろうか。いきなり家庭から養護施設へ送致された少年たちの怒りは凄まじい。その怒りの吐き出し先、つまり受け皿として対象にされるのが、幼い子ども達なのだ。(注:【 】内は著者の加筆)

里親ブログ  筆者:sido(ペンネーム)

児童間暴力、児童間性暴力

http://blogs.yahoo.co.jp/sido_san/4560304.html より引用・抜粋


養護施設の問題というと、職員から子どもへの虐待や不適切な扱いがマスコミをにぎわします。もちろん、それも問題ではありますが、実は、それ以上に、深刻な問題があります。


それは、児童間暴力、児童間性暴力です。


 中学生が小学生を、小学生が幼児を殴り、時には性的な行為をします。加害児童も、かつては被害を受けていて、トラウマの再演や怒りの発散のために、より弱い相手に、自分がされたことをします。
 暴力は、比較的見つけやすいと言います。しかし、児童間性暴力は、トイレや風呂場、死角になる場所で起きるので、目が届かず、手が空いているときは、積極的に見回ります。
 トイレが長い子は、トイレの外から「大丈夫?」と声をかけます。お風呂も、子どもたちだけではなく、大人も一緒に入るようにしています。「異性の子どもの場合は?」と聞くと、なるべく一人で短時間で入るようにさせているとのことです。
 児童間性暴力は、同性だからといって油断できません。お風呂場や居室で、同性の上級生からうける性被害も少なくありません。大きい子が小さい子に性的な奉仕をさせます。この小さい子がまた大きくなって、小さい子に同じ事をさせます。親子の虐待のサイクルが、児童間で短いサイクルで繰り返されます。

*次回もこの問題を取り上げたいと思います。