ユーザーの声


 乳児院児童養護施設で『全ての子ども時代』を暮らした女性から見た『施設』をご紹介します。
現在は結婚し家庭を構えておられますが『家庭生活』をまったく知らない(学習の機会が無かった)ために、多くの困難を抱えておられます。


 下記の引用記事は、彼女のブログのコメント欄に書かれた『とある反論』に対する再説明ですが、子どもが常に『大集団的生活』を送る様子を、彼女の目線で端的に、リアルに語っておられます。

集団ありきの人生・再考  筆者:Lei

http://blogs.yahoo.co.jp/leiwingjp/7060062.html より引用・抜粋

 ※ わたしには資料がありませんので、間違っているやもしれません。(著者注:この方は、トラウマからくる健忘《PTSDの一種》を持っているのではないかと、自らを疑っておられます。)


 集団における養育の結果、生き辛さを抱えるかつての施設出身者たちは、(中略)全体主義の影響を色濃く残しながら生きています。
 

 その他大勢の子ども達に対する、悪平等の結果、全体主義の歯車としてしかものを考える事ができないし、規律違反を何よりも恐れ、自己を総括しながら集団にどれだけ迷惑を掛けてしまった自分であるかを、自己反省もします。 


 施設ではモノは配給制でした。生理用品さえ申告してもらわなくてはいけませんでした。普通の家庭で、お母さんからもらうのとは明らかに違うのです、うまく言えないけど。あの頃は普通と思えた事は外の世界ではむしろ奇異であり、かなり混乱しました。
 

 【はじめに集団ありきと言いますが、他を尊重しあい、お互いに譲り合い、謙譲の良き心が生まれてきます。我慢は必ずしも悪い事ばかりではありません。】
※ ××さんの発言を引用しました、都合が悪かったら言って下さいね。
 
 これは、普通の家庭の子が、集団でどういう役割を担うかや自分を抑える事もそろそろ学習した方がいいという段階に、入った事を踏まえて、大人がコントロールしつつそして、帰れば1人になれる家がある子には有効的だと思います。


 でも、はじめに集団ありきの人生だという事を伝えたかったのは、そうではなくて。


 まだ物心もつかない幼い頃より乳児院を経て養護施設に入れられ、全ての人生が「集団生活しかない」事を問題としているのです。そしてその生活内容は全体主義的軍隊的、矯正的、懲罰的であり、とても1人の自己としてのアイディンティティは育たないと思うと言っているのです。


 わたしはそれと同時に施設内の特権階級にも触れたいと思っています。施設の敷地内には、職員の一家が住んでいました。


 その一家は、わたしたち大勢の子ども達の中では特別待遇(に見える)でした。子どももいたし、お母さんもお父さんも居る生活を間近で見ながら、自分にはそういう親、家庭、などは夢見る事も許されないものだと思っていました。


 「パパ」「ママ」と言いながら生活するその子は、わたしたちにはとても不思議な存在だったと思います。今考えれば、それが普通の家庭だったのです。 
 

 一方でそのように特権階級の元、全体主義的な施設生活は続いていたと思います。一部の特別な人々、そしてそうではない施設の子ども達。もちろん、自分の施設に里親がくるという話はなかったですし、あっても十何年に1人くらいの話だと思います。


 そのように、家庭生活を望む事は今でも特権階級的と感じられ、普通の望みとは思えない気分が残っています。だから記事を書くと、けっこう落ち込みます。言ってはならない事を言って造反的な事を言っているのではないかと思います。


 施設のその他大勢の子ども達は「ぬけがけ」も許しません。特権階級でもないくせに、1人だけ誰かと絆を持とうとすると粛清的ないじめを受ける事があります。


 昔、サイトへ来られた方で、里親家庭へ行く事が決まった事で嫉妬をされ他の子からリンチをされ、傷つけられて里親家庭へ行った子もいました。その方は、里親家庭へ行った事と傷つけられた事がリンクしてしまい、心を里親に開く事ができなかったようです。