#パーマネンシー・プランニング

[ permanency planning ]
・permanence = 永久 [ 不変の ] もの [ 人 ];永続的な地位
・plan = 計画;案;設計図

目的:

・家庭を一時的または永続的に失った子どもの健全な発達。
・子どもへの、安定した家庭環境と永続的人間関係の早期提供と保証。

里親入門 制度・支援の正しい理解と発展のために(著/湯沢雍彦)P.142より引用・抜粋

パーマネンシー・プランニングは、安定した家庭と人間関係を重要視する子どもの発達理論を基礎として、次の仮説に基づいている。

1)子どもは、自分の人生が安定したものであり、かつ自分の人生が予測できるものであることを必要とする。


2)子どもにとって家庭で養育されるのが最善であり、また子どもの福祉と幸福感に深くかかわる親によって養育されることが最善である。


3)子どもが親またはその子どもと親子関係のような情緒的関係をもつ大人をくりかえし失った場合、その経験は子どもにトラウマ(精神的外傷)を与え、大人になってから人と健常な情緒的関係を築く能力に影響を及ぼす。


4)学校、養育者、友だち、隣人などの子どもの環境が、予期せずしてくりかえし変わった場合、それは子どもに精神的外傷を与える。

*参考:パーマネンシープランニング
*著者注:このプランは1980年に米国で、施設での集団養育や里親の度重なる変更で、子ども達に『無用の苦しみ』を負わせてしまったことに対する『反省』から生まれました。


用語を知る・一覧

 さようなら、ストロベリー・フィールズ

イギリスの孤児院が閉鎖

 ビートルズゆかりの地である英リバプールの孤児院「ストロベリー・フィールド」(救世軍子どもの家)が2007年3月に閉園されることが決定した。故ジョン・レノンの少年時代の遊び場だった孤児院も、2005年5月31日を持って孤児院の運営を終了。69年の歴史に幕を閉じる。


 孤児を施設に措置せず、一般家庭に置く『里子政策』を推し進めているリバプール市の方針で、最後の期間の入居者はわずか3人。それに対しスタッフは30人。経営が悪化していた。
 救世軍は「子供たちを取り巻く状況が変わり、ストロベリー・フィールドのような大きな施設で育てられるより、どこかの家庭に引き取られたり、より小さなグループホームで育てられるほうが子供たちにとって好ましい」と閉鎖の理由を説明している。残っていた孤児3人は一般家庭や福祉団体に引き取られた。
 施設、敷地の処分については未定。
*参考:goo BBC:12 January, 2005, BBC:30 May, 2005,

僕と一緒に行かない? あのストロベリー・フィールズに
Let me take you down 'couse I'm going to Strawberry Fields.


そこには現実も、囚われるものも何もないんだ
Nothing is real and nothing to get hung about.


ストロベリー・フィールズよ永遠に、ストロベリー・フィールズよ永遠に
Strawberry Fields forever, Strawberry Fields forever……

これは、帰る家が無い子の歌ではない。
ジョン・レノンには帰る家があった。伯母さんの家だけど。


子ども全員に『家族』が居てほしい。
帰る場所が『ストロベリー・フィールド』ではなくて……。


*追記:『甦るPCと児童虐待について (内田樹)』という記事を見つけました。長文ですが後半に児童に関する興味深い記事があります。

児童養護施設を家族・家庭と呼ばないで

レイとMariaのブログにリンクのご協力をお願いします。

 子ども時代の全てを養護施設で育ち、一度も家庭の味を知らない施設育ちのレイとMariaには、たった一度の子ども時代を失った哀しみと、次世代の子どもたちに哀しみを引き継ぎたくないという気持ちがあります。子ども時代を失うのは、あたしたちで終わりにして欲しい。
児童養護施設を家族、家庭と呼ばないで』『親が育てられない子どもは原則里親家庭で育てて』キャンペーンを広げたいと思います。
 この趣旨に賛同していただける方は、ブログやホームページに、バナー広告と、キャンペーンサイトへのリンクを貼っていただけないでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/leiwingjp/9202089.html
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/foster_family_campaign/

*リンク先にはもっと沢山のバナーがあります。

#家族再統合

子どもの虐待対応マニュアル http://www.pref.aichi.jp/jiso/annai/manyu/chiiki/manyu_chiiki_1.htmlより引用・抜粋


 ここで言う家族再統合とは、「親子が親子であり続けられる親子関係・親子形態の再構築」であり、「親子が安全かつ安心できる状態で互いを受け入れられるようになること」で、必ずしも親子が一緒に住み暮らすことではない。
 「多面的な支援を提供して、子どもと家族との関係を再構築していく過程で、最適とされる統合形態」がその家族にとっての再統合の形である。従って、虐待の重症度、分離の有無にかかわらず、家族機能の再生・回復を広く家族再統合と考える。また、ここでの家族は、子どもを養育する環境の担い手と広義に捉える。従って、核家族のみならず、祖父母や親類も含む拡大家族なども含む。子どもと家族との関係を再構築する一連の支援プロセスの結果、最適とされる統合形態は、何よりも子どもの利益に立つという視点が明確に貫かれ、子どもと家族のニーズを考慮し、さらに子ども、家族、援助者が納得できる形で導き出されることが必要である。


 児童虐待、特に緊急性の高い重症事例では、親は虐待を否認していることが多く、そのため介入に対して怒りや被害感が生じ、支援機関と関係を結ぶことが困難になる。たとえ子どもの安全を保障するためになされた意思決定であっても、子どもは家族から離れることを望まず、家族からの分離が心理的な外傷体験となることも少なくない。そのため分離を余儀なくされた後の子どもと家族への手厚い支援プログラムが必要となる。子どもと家族に対して、初期対応における支援方針のみならず、中・長期的な支援プランの中での家庭復帰の見通しを告げた上で、虐待行為と向き合えるような支援とケアを行うことが必要となる。

(中略)

 なお、家族再統合の必要性はあらゆる事例に共通するものであるが、性的虐待のように発見・保護はできても、実効性のある対応の取れないまま再統合に至るまでの道のりのきわめて険しい事例も少なくない。家族再統合を急ぐあまり加害者の責任所在、虐待の発生構造をあいまいにしたまま安易な支援が推し進められた場合、子どもをさらなる窮地に追い込む危険性のあることも、十分に認識しておくことが必要である


用語を知る・一覧

 設定自体に無理がある


 様々なサイトを巡り、様々な本を読んだ。乳児院児童養護施設を巡る人々の肉声が中心で、観念的・思想的なものはあまり読んでいないけれど。


 『親的なモノ』を期待してやまない子ども達と、イチ労働者としての職員。どうも、この温度差が、お互いに修復困難な『傷』の元になっているようにみえる。


 入所する子ども達は、もの凄く愛情に飢えている。それは当たり前。幼くして親と離れ、帰る家もない。または手酷い虐待を受けている(家は危険で帰れない)。とにかく基本的な愛情が足りない。慢性的な愛情飢餓。
 その世話を担っている職員達はどうだろうか。普通の『良心的』な職員たち(報道などで度々話題になるような『明らかな虐待(職権乱用)』をする職員は論外)は、特別な人々ではない。就労資格をみると、特に訓練された専門職という訳でもなさそうだ。つまり、何かしら情熱が有ったとしても、あなたや私と同じように家庭を持ち、休日を楽しみ、給料日をささやかに待ちわびている、どこにでもいる人々なのだ。就労時間が過ぎれば、帰りたくて(なにか大事な約束があるかもしれない)気もそぞろになることもあるだろうし、何だかやる気の出ない日もあるだろう。イチ労働者として考えると、だれにでも心当たりがありそうな普通のこと。


 でも、子どもは、たったひとりの『自分』として、自分だけの愛情を求めている。これはだれにも止められないし、止めてはいけない、健全で当然のこと。
 それに対し、自分の生活のある大人が、職場の子ども達に応え続け、24時間365日職場に全人生を捧げ切ることはできない。これも健全で当然のこと。


 だからこそ単純に思うのだ。
 長期間、施設で子どもが暮らすことには無理があると。


 このシステムは、はじめから『愛情』の需要と供給のバランスが取れないようにできている。
 設定自体に無理のある状況に投げ込まれた人々に「君たち、うまくやりなさいよ」と言ったって、「それはないよ」なのだ。見ているだけで苦しさが込み上がってきてしまう。ごくシンプルに。直情的に。


 それでもなお、現実は今日も明日も続く。現場の人々はこの矛盾にさらされっぱなしだ。彼らは誰かの主義・思想の実験台じゃない。あなたや私と等しい、生身の人間なのだ。


 不思議にも里親さんは余っている。生活を賭けて『親代わり』になりたいヒトが、なぜか余っている。「里親制度にはまだ不備が多い」という声も聞こえてきそうだけど、施設養育だって負けないくらい不備だらけ。でも、少なくとも里親宅なら『担当(養育者)』が入れ替わったりしないので、愛憎ともに、特定の人物との関係を築くことができる。そしてなによりも、ほどほどに素晴らしく、ほどほどにアホらしい普通のイチ個人の生活が、里親家庭では毎日送れるのだ。1989年に国連がうたった『こどもに最善の利益』とは、そんな生活の場を提供することではないのだろうか。


 どうか、どうか、1日も早く、逃げ場のない子ども達が、現在の『無理のある設定』から解き放たれますように。こどもに最善の利益を!!




追記:『子どもが語る施設の暮らし( 明石書店)』によると、自ら望んで施設に入所する児童もいるし、『入所して良かった、助かった』と感じている児童もいる。それはある程度大きくなってから入所し(良質の施設に)、帰る家のあるケースが多い。そのような児童は次の様に報告している。『小さいときから施設にいた子はなんかおかしい、すごく愛情に飢えているかんじ』と。特定の人物との絆が全く無い子と、有る子の差は、非常に大きい。


*参考:『決して埋まらない何か。』/『いつまで「究極の選択」を迫られるのか』/『30年で里親委託児童は半減、施設措置児童は微減』/『寝てません・・・。』/『わかっていてもやめられないのか・・・』/『養護施設がなかったらストリートチルドレンがあふれるの?』/『とにかく、体力勝負です!』/『施設職員の勤務形態について(1)』/『施設職員の勤務形態について(2)交代制勤務』(後日リンクは追記します)

 子どもが語る施設の暮らし

子どもが語る施設の暮らし

子どもが語る施設の暮らし

内容(「MARC」データベースより)
様々な事情により家庭生活ができなくなった子どもたちが集う児童養護施設。そこに暮らす子どもたちが、厳しい社会に立ち向かいながらも自らを真摯に見つめ、悩み、憤り、ためらった真実の想いを綴る。
目次/苦しい思いは自分だけじゃない/家族が離ればなれになって/人に徹底的に避けられて、気持ちが氷のようでした/家庭の崩壊、そして実父からの虐待/頼れるのは職員だけ。だからきちんと応えてほしい/お母さんとまた一緒に暮らしたい/施設を子どもの安息の場に/いきなり児相、そして転校/作文 施設生活八年間の悲しみと驚きとうれしかったこと〔ほか〕

子どもが語る施設の暮らし 2

子どもが語る施設の暮らし2

子どもが語る施設の暮らし2

内容(「MARC」データベースより)
児童養護施設で暮らした経験を持つ子ども達が、施設での暮らしや親への思いを語る。「家庭養育」「施設養育」「里親養育」に臨むおとなの課題は何か、社会の責務とは何かを問いかける本。99年刊に次ぐ第2巻。
目次/あなたのためを思って…」が不愉快だった/自分だけが不幸なわけではない/これでよかったんだと思えるようになった/ドラマや映画ではない本当の施設の暮らし/もっと子どもの気持ちを受け止めてほしかった/お父さんがもう少し長生きしてくれたら…/規則は押しつけられるものではないはず/里親からもらった大切な気持ち/父の暴力と母の入院で…/「いつ出ていってもいいのよ」里親に言われて〔ほか〕

 施設でくらす子どもたち

施設でくらす子どもたち【第3版】 (子どもの人権双書)

施設でくらす子どもたち【第3版】 (子どもの人権双書)

レビュー/内容(「MARC」データベースより)/自らを育む子ども時代を「家族」という支柱なしに、ひとり生きることを強いられる子どもたち。その生活の場である養護施設が、真に人権回復のために機能しているのかを考える。99年に続く第3版。

目次/1 人権回復の場としての施設/2 子どもの人権と「施設最低基準」/3 自立援助ホームの子どもたち/4 里親家庭の子どもたち/5 児童福祉法の改正と要保護児童施策

*ちょっとつぶやき:
新宿・ジュンク堂http://www.junkudo.co.jp/sinjuku.htmlは児童福祉関係の書籍が豊富で素晴らしいです。イスに座って立ち読み(?)できます。しかも追い出されません。